世の中いろいろと便利になったもので、今どきは海外のWebサイトを訪れると
自動的に日本語に翻訳してくれることが多い。
ところが同時に、その日本語を読んでもよくわからない、、、
いや、さっぱり意味がわからないことがある。
或いは逆に、僕の知り合いなど、自分の日本語のブログを
翻訳サイトにかけるのだろうか、英語に訳して英語版のブログも出していたりするが、
これがまた難解な英語、、、というか、やっぱり、
英単語は並んでいるんだけれども英語になってない、という文章であったりする。
どうしてこんなことになってしまうのだろう?
勿論、日本語と英語の文法というか、文の成り立ちというか、
そういったものが異なるからだ、というのは言うまでもない。
けれども、僕は日本語の論理というか、日本語の現実というか、
どうも「国語」と言われる分野の成果が機械翻訳に取り入れられてないからではないか、
そんな風に思うのだ。
つまり、学校で教わるような「英文法」の観点からしか解析されていないのではないか、と。
その典型が「は」や「が」で始まる文章を機械に訳させる時だ。
「は」や「が」は主語を表すという固定観念があるように思われる
——実際、中学校の「英語の時間」にそのように教わった気がする——が、
実のところ日本語の「は」や「が」は目的語も表すのである。
例えば、
この本は読んだ。
母が恋しい。
のような文を考えればすぐわかることだ。
「読んだ」のも「恋しい」のも主語は私であろうが、某翻訳サイトで訳すとそれぞれ、
This book I read.
Mother miss.
と訳されてしまう。まぁ、最初の方は倒置法とすればわからなくもないが、普通には、
I read this book.
だろうと思う。2番目のはもうメチャクチャで、同じく普通には、
I miss my mother.
とかそんな感じだろう。
また、別の例で言うと、「〜に関しては」「〜については」で始まる日本語は、すぐに、
in regards to, regarding, concerning
といった副詞句で導かれる英語に訳されやすい。例えば、
予算に関しては、別途打ち合わせの場を設定させて戴きます。
に対して、同上のサイトでは、
With regard to the budget, it will charge you separately to set the place of meeting.
と訳して来るが、普通には、
Please let us discuss the budget in another meeting.
とか、そんな感じではないだろうか。
つまりこれらの日本語の表現は往々にして、英語の主語や目的語になるものだということだ。
翻訳というものは、単に異なる言語の単語を別の言語の単語に移すことではない。
それぞれの言語にとって、どのような表現が自然か、ということがなければ翻訳はできない。
日本語の「は」や「が」は特にそのことをよく教えてくれるように思う。